奈良地方裁判所 昭和49年(わ)229号 判決 1978年6月07日
被告人 奥本一男
昭二三・六・二九生 タクシー運転手(元郵政事務官)
主文
被告人を懲役一年に処する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(被告人の経歴および本件にいたる情況)
被告人は、奥本伊三吉、亡同シマノの長男として本籍地で出生し、昭和三九年三月、地元の生駒中学校を卒業したのち、しばらく大阪市内の製本所に勤めたが、昭和四〇年四月から奈良県生駒市内にある生駒郵便局に勤めるようになり、昭和四四年一〇月、郵政事務官に任命され、以後、昭和四九年八月七日本件により懲戒免職処分を受けるまで引き続き同郵便局に勤務し郵便課外務職員の職務に従事していた者である。
なお、被告人は、郵便局に勤めるようになつて約半年後に全逓信労働組合に加入し、支部執行委員などの役職にもつき、本件当時は同組合奈良北部支部生駒分会書記長であつた。
昭和四九年六月二五日午後四時ころ、被告人は勤務を終え、同僚の浜崎求とともに生駒市谷田町八三四番地の二所在の生駒郵便局を出て近くの飲食店で飲酒したのち、同六時三〇分ころ連れ立つて同郵便局に戻り着いたが、その途中、参議院議員通常選挙候補者ポスター掲示のため同市谷田町八一〇番地の一田中賢二方前に設置されていた九三番公営掲示場の傍を通過した。
そのころ、たまたま同所を通りかかつた帰宅途上の大阪府警察官籠谷利元は、右掲示場に掲げられていたポスター四枚のうち三枚がはぎ取られているのを発見するとともに、破れたポスターを丸めたものと思われるものなどを持つたシャツ、ジーパン姿の若い男の二人づれが急いで立ち去り生駒郵便局に入つたのを目撃し、即刻その旨を生駒警察署に電話で通報した。
同六時二七分ころ右通報を受けた同署警察官らは、ただちに生駒郵便局に急行し、同六時三〇分過ぎころから、右二人つれの一人として籠谷の指摘するところに従い、同局内「お客様ルーム」にいた被告人に対し事情聴取をしようとしたが、被告人はこれに応じようとせず、同所窓口カウンターに腰かけたまま、「関係ない、証拠があるなら逮捕してみい、あほんだら、ぼけ、かす」などと怒号し、罵声を浴びせるのみであつた。
そのうち、当時なお在局執務中であつた同郵便局の管理職員である郵便課長池上一夫、貯金保険課長河原金、庶務会計長木森政太郎らが、「お客様ルーム」での喧騒状態に気付き、相前後して同所に来、様子を見ながら、警察官に対し、同所窓口では郵便業務取扱中で客も居るので、他の場所で話をするよう申し入れるとともに、被告人に対し、他の場所で冷静に話をするよう説得を試みたこともあつたが、被告人はこれに対して「うるさい、お前ら関係ない、黙つていろ、あつちへ行け、警察に言うたのはお前らやろ」などと反撥するだけで、その場を動こうともせず、警察官に対する態度もあらためなかつた。
同七時過ぎころにいたり、警察官らは被告人に対する事情聴取を断念して引き揚げたが、その後間もなく、被告人は、庁舎内を歩き廻りながら、執務のため在局中の同郵便局管理職員らに対し、つぎつぎと本件各犯行に及んだ。
(罪となるべき事実)
被告人は、
第一 生駒郵便局庶務会計主事山田孝二(当時三五歳)に対し昭和四九年六月二五日午後七時一〇分ころ、奈良県生駒市谷田町八三四番地の二所在同郵便局局舎庶務会計事務室前廊下において、「われ何をうろうろしているんじや」といいながらその右頬部を左手拳で一回殴打し、ついで同七時二〇分ころ、右事務室内において、その右頬部を右手刀で、右前膊部を左手拳で、それぞれ一回殴打し、さらに同八時過ぎころ、同室内において、「いつまでうろうろしているんじや」といいながらその右前膊部を左手拳で一回殴打し、もつて同人に暴行を加え、
第二 同郵便局貯金保険課長河原金(当時五三歳)に対し、同日午後七時一〇分過ぎころ、前記局舎郵便課事務室において、その前襟首を右手でわしづかみにして身体を五、六回前後にゆさぶり、ついで同七時五〇分ころ、同局舎洗面所においてその右後頭部を右手拳で、右顔面を左手拳で、左前膊部を右手刀で、腹部を手で、それぞれ一回殴打し、もつて同人に暴行を加え、よつて同人に加療約八〇日間を要する頭部、右頬部、左前腕打撲症の傷害を負わせ、
第三 同郵便局郵便課長池上一夫(当時四四歳)に対し、同日午後七時一五分過ぎころ、前記局舎貯金保険課事務室で、その前襟首を左手でわしづかみにして身体を前後に五、六回ゆさぶり、もつて同人に暴行を加え、
第四 同郵便局局長塚本弘明(当時五三歳)に対し、同日午後七時四五分過ぎころ、前記局舎男子便所において、その右前額部を左手拳で、腹部を右手拳で、それぞれ一回殴打し、もつて同人に暴行を加え、
第五 同郵便局庶務会計長木森政太郎(当時四三歳)に対し、同日午後八時四五分過ぎころ、前記局舎庶務会計事務室前廊下において、「会計長、差別についてどう考えるんや、今日のことどう始末つけるんや」などと言い、同人が「明日話そう、今日はもう引き揚げよう」と答えるや、いきなりその右頬部を左手拳で一回殴打し、もつて同人に暴行を加え、
たものである。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人の判示第一および第三ないし第五の各所為はそれぞれ包括して刑法二〇八条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当し、判示第二の所為は包括して刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年に処し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用してその全部を被告人に負担させることとする。
(量刑について)
一 本件は、郵政職員であつた被告人が、勤務時間外に、勤務先郵便局の局舎内で、おりから執務中であつた同局管理職員五名をつぎつぎと殴打して廻つた、というもので、被害者の中には繰返し執拗な攻撃を受けた者もあり、このような犯行に驚愕畏怖した管理職員らは一時虚脱放心の状態に陥り適切な対策を講ずる余裕もなかつたほどであつたうえ、被害者のひとりである河原金は負傷し、これが遠因となつて退職するにいたつており、その態様、被害の程度に照らし、それ自体、悪質な暴力事犯である。
二 また、本件犯行にいたつた動機として、被告人のため酌むに足るべき事項は何も見出だせない。
検察官は、本件起訴状において、被告人は警察官が事情聴取を試みた際における管理職員らの態度が被告人に冷淡であつたことに憤慨したもの、と主張している。奈良県下の一部官公署、事業所等においては、その職員や従業員が部外の者と紛議を生じ、相手方が職場に来たような場合、管理職員は右職員等をかばい、これと協力して部外の者を追い返すべく、これを怠るときは当該職員等やその同僚から、後日さまざまの報復を受ける、という風潮の存在することは公知の事実であり、その片鱗は、塚本弘明の証言(「単なるトラブルなら謝つて引き取りもする云々」、第一七回公判、速記録七丁)や奥本恵造の証言(第二三回公判、速記録三八丁)のほか本件証拠中随所に見られるところである。そして、川口正幸の検察官に対する供述調書によれば、「(警察官らが被告人に事情聴取を試みた際、生駒局管理職員らは)公衆室(「お客様ルーム」)と奥の事務室を出入りし、成りゆきを見ているという態度で、警察に協力する態度も、奥本をかばう態度も見せませんでした」というのであるから、被告人がこれをもつて「(被告人に)冷淡な態度」とし、憤慨した、というのはありうべきところであり、被害者らの証言から窺われる被告人の言動にも、かかる動機の存在を思わせるような点がないでもないから、検察官の主張は一理あるものといえるけれども、本件証拠上、いまだ積極的にこれを本件犯行の動機として認定判示するに足りない。
一方、被告人は、本件審理の当初、意味ありげに職場の労働条件等について述べていた(第三回公判で陳述した「冒頭陳述書」)が、審理終結にあたつては、右のような事項と本件とを関連づけることなく、本件犯行は単なる酔余の狂態に過ぎない、とするもののごとくである。
そして、弁護人は、これと異り、被告人は警察官の来訪による緊張状態に刺激され、日ごろ包懐する考えを管理職員らに訴えようとして、これを一か所に集合せしめようとする過程で本件に及んだ、と主張する。
本件証拠上、被告人が犯行当時酒気を帯びていたことは認められるが、同時に被告人の責任能力に疑いをさしはさむに足りないことも認めるに十分である。また弁護人の所説もひとつの可能性ではあるが、そもそも被告人の主張するところでないばかりか、証拠にあらわれた被告人の本件当時の言動は、いずれも当日の出来事のみにかかわるものと解され、平素からの心情を述べようとしたとの弁護人の主張には沿わないのであつて、他に適切な証拠もなく、これを本件犯行の動機と認定することができない。
他面、確実なことは、本件犯行が、正規の組合活動あるいは具体的な労働争議に関してたまたま派生した逸脱行動などではなく、純粋に個人的な暴力の行使にほかならないことである(被告人もまた前記「冒頭陳述書」(「当局に対する怒りの表現が組織的団結とはなれたところで爆発した」との記載)および当公判廷における供述でこのことを自認している。)さらに、この犯行が相手方を生駒郵便局管理職員らと認識してなされたものであり、友人同僚との悪ふざけや、これとの誤認、混同に基づく行動などでないこと、そして本件当時の被害者らの言動にはなんら挑発的あるいは攻撃的な点がなく、事件発生後も強硬手段に訴えるようなことはしないで、被告人の弟や友人の協力を求め、穏便に被告人を連れ戻させようと努力していたことも明白である。
それ故、本件においては、動機として被告人に有利にしんしやくすべき事情を発見することができず、かえつて本件は被告人がなんら責むべきところのない職場の上司その他の管理職員たる被害者らに理由もなく一方的攻撃を加えた事案であり、被告人に自己中心的、攻撃的、反社会的性向が強いことを示すものとして犯情はすこぶる芳しくないといわなければならない。
三 反省の有無も再犯可能性予測の手がかりであり、情状のひとつとして考慮すべきところであるが、本件で、被告人が率直に非を認め、被害者らに対して謝罪し慰謝の方法を講ずるなど、反省の態度を示した事実はなく、しかもそれは事実の不存在もしくは正当化事由の存在の確信等、最終的な当否はともかく、一応首肯することのできるような理由によるものではないのである。
被告人は、本件は酒の上のことで記憶が定かでなく、事情が判然しないと称するのであつて、かりにこれが単なる弁解でないものとしてみても、そのような場合、急ぎ事情を確め、自己に非のあることを知ればすみやかに謝罪その他所要の措置をとるのが社会生活上当然の行動であるのに、被告人は進んで事情を確める努力をしたことがないばかりか、特に河原金においては、事件発生後間もないころ、同人から説明を受け、少くとも同人に対していかなる所業に及んだかにつき認識を得ているのに、他の被害者の場合同様、今日にいたるまでなんらの措置をとつた形跡がない。
そのほか、訴訟への対応の仕方も、犯行に対する反省の有無、程度の徴表となりうるところ、被告人は、さきに見たとおり、当初職場の労働条件等が本件に関係するかのごとき口振りを示し、当裁判所は特にその点についても意を用いて慎重な審理を重ねたのであるが、審理終結にあたつて被告人は右の点には触れることなく、本件は酔余の狂態と称して恥ずる色がない。さらに本件訴訟においては、いわゆる支援者と目される多数の者が法廷内外で不当な行状を繰り返したが、被告人がこれと終始一体となつていることは明らかである。のみならず、被告人みずからも、裁判所構内まで来ておりながら入廷しないとか、無断退廷、出廷拒否等、訴訟秩序をことさらに無視し、審理の進行をいたずらに遅延させるような態度に出ているのであつて、弁護人の適切な助言の欠如や、弁護人およびいわゆる支援者らの異常な振舞に影響された点があるにしても、これらが被告人の意に反して強制されたようなものではなく、その自発的行動であることも疑う余地がない。これらの点を含め、「被告人の本件訴訟との取り組みを通観すると、総じて真実発見を目的とする真摯な攻防に努めるというよりは、現行刑事訴訟法が当事者主義的構造を基本としている点を悪用し、防御権行使に藉口して、裁判制度を嘲弄し、これに挑戦する一方、本件被害者らに対してはいわゆるつるしあげを策し、あるいは顧みて他をいうものと評すべき郵便局管理職員や郵政当局の非難を試み、ひいては同種事案に対する行政上、刑事上の措置のけん制を図つたものと観察でき、反省の念の痕跡だに認められないというほかはない。」
当裁判所は、結審に際し、念のため、以上のような点についても心境を吐露する機会を被告人に与えたけれども、真面目にはかばかしい答をすることはなかつたのであり。結局本件犯行について、被告人にはなんら真剣な反省が見られないとしなければならない。そして、このことが在廷していたいわゆる支援者らをはばかつたためで、被告人の真意でないなどとは誠に考え難いのであるが、かりにそのような理由でかくも重要な事項につき心にもないことをしたというのであれば、かかる者らとよしみを結び、これに強い影響を受け続けている点において、被告人の再犯可能性、社会的危険性はいつそう大きいこととなろう。
四 以上のしだいで、「被告人の本件犯行はその内容が悪質であり、動機として首肯同情すべき点がなく、反省の念も認められないのであつて、その他事案の特質にも鑑みれば、量刑にあたり単なる矯正ないし特別予防の観点のほか一般予防の見地をも軽視できず、被告人が本件で懲戒免職処分を受けたこと、その生活状態、家族状況等被告人のためしんしやくしうる一切の事情を考慮しても、主文の程度の刑はやむをえないものと認める。」
なお、未決勾留日数中、起訴前および起訴後勾留取消までの分は、事案に照らし通常やむを得ない期間として算入に値せず、第七回公判後の勾留の分は、勾留のなされた事由、保釈にいたるまでの経緯に鑑み、専ら被告人に帰責事由があるので算入すべきものではないと考える。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 田尾勇 岩川清 米里秀也)